詩人・茨木のり子さん死去

自立した知性で見つめた戦後日本、茨木のり子さん死去
今朝新聞で見て驚きました。79歳だったそうです。戦後女性の考え方や感じ方をうまく表現する詩人さんだったと思います。兄貴が去年書いてた「自分の感受性くらい」を読んで泣きました。わたしは高校の頃「わたしが一番きれいだったとき」という詩を習いました。わたしは何不自由なく生活できる良い時代に生まれたんだということを実感します。やたらめったら高くて煌びやかなものを身につけて着飾る女性たち。自分の身なりを気にしている場合じゃない、鏡を見ている場合じゃないという状況を、今の女性たちは想像することが出来るのでしょうか。一番きれいだった二十歳くらいの時、貴方は何をしていましたか。今でも音読してくれた現国の女の先生の声が耳に焼き付いています。ご冥福をお祈り致します。

わたしが一番きれいだったとき

街々はがらがら崩れていって

とんでもないところから

青空なんかが見えたりした

わたしが一番きれいだったとき

まわりの人達が沢山死んだ

工場で 海で 名もない島で

わたしはおしゃれのきっかけを落してしまった

わたしが一番きれいだったとき

だれもやさしい贈物を捧げてはくれなかった

男たちは挙手の礼しか知らなくて

きれいな眼差だけを残し皆発っていった

わたしが一番きれいだったとき

わたしの頭はからっぽで

わたしの心はかたくなで

手足ばかりが栗色に光った

わたしが一番きれいだったとき

わたしの国は戦争で負けた

そんな馬鹿なことってあるものか

ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた

わたしが一番きれいだったとき

ラジオからはジャズが溢れた

禁煙を破ったときのようにくらくらしながら

わたしは異国の甘い音楽をむさぼった

わたしが一番きれいだったとき

わたしはとてもふしあわせ

わたしはとてもとんちんかん

わたしはめっぽうさびしかった

だから決めた できれば長生きすることに

年取ってから凄く美しい絵を描いた

フランスのルオー爺さんのようにね